そして、今日。誰にも言うな
「リアを作る上で、自分にとって大切に思うことは、絶対に誰にも言うな、絶対に。演出家にも言うな、胸に秘めていれば客に伝わるものだぜ。我々は今迄そうやって作ってきたんだからな」(テレンス・ナップ)
山崎努氏の「俳優のノート」(メディアファクトリー)である。
AV男優は役など作らない。胸に秘めるものなんて何もない。
そうだろうか。人間が何かをする。何かを仕上げる。
それは、作ることであり、伝えることでもある。
僕は今日、一本のAVに出演する。自分の出るAVを作りに行く。演出家に、相手の女優に、他の出演者に、そして何か月後かに見てくれるユーザーに、何かを伝えにいく。
胸に秘めるもの、自分にとって大切に思うこと、それはある。言葉に今だならなくても、僕はそれを抱えて、これから現場に向かう。
○作品全体を理解すること。そのためには、自分の役を中心に読まないこと。
昨今は各パートごとにサービスメニューを重ねるダンゴつなぎ的なAVが増えた。それもいいだろう。だが、今日の作品は違う。何分物になるかわからないが、どういう構成になるのかも知らないが、全体を統一する、堅固な思想がある。
AV女優とは、何か?
僕はその究明のための、歯車でいい。
どうせ、そこから勝手に逸脱しちまおうとするのだろうが、その専行から産まれるものは決して全体から外れるものではない。
僕はずっとずっと考えて生きてきた。AV女優とは、何か?
僕は最初から、この作品世界に、しぶとく、うっとおしく、生息していたのだ。
○自分自身の問題として、”リアの旅”を生きること。
AV女優とは、何か?
僕自身の旅だ。永遠の問題だ。
○人間への慈しみ。
だが、僕に欠けているものは、これだ。致命的なハンディが、こいつだ。
僕は俳優には、なれない。自分ひとりの旅しか、辿っていけない。
「手に入れた獲物はすぐに腐る。習得した表現術はどんどん捨てていくこと」
僕の獲物なんてとっくに腐っている。異臭を漂わせながら、僕は死神のように現場に現れる。
散々捨ててきたのに。カメラが回りだす度に、自分を打ち払ってきたのに。
腐り切って、灰になりかけて、それでも僕はまだ舞台に上がる。しがみつくつもりもないのに、そこに女優という名のオンナがいるだけで、僕はみっともなく這い上がる。
「僕にとっての活力は死に近づいてゆくこと。若者は目の前のものしか見ない、齢をとると遠近法を身につけるんだ」
すると僕は、死から遠ざかっているのか。
目の前のものしか見えない。目の前のものしか見たくない。
女優、モデル、SM嬢、OL、学生、女の子、娘、女、レディ、女性、オンナ・・・。
映画、「燃えよ!カンフー」、WWE・・・・。
何なんだ、一体?
生からも死からもはぐれて、僕はどこへ転がっていくんだ?
「芝居を準備している時には、見るもの聞くものが直接突き刺さってくる」
たとえば電車が混んでいた。たとえば嫌なヤツがいた。
たとえば僕は、今日も生きていた。
そのすべてが憤ろしい。
僕が生きてること自体が、僕のヤジを産む。イジメを作る。
最低だ。
「しかし、どんなにだめな撮影現場でも、自分の出ている個所だけは少しでも豊かにしてやろうという努力は諦めないこと。どこかに自分の観客はいる」
僕は逆かもしれない。
どんないい現場も、自分が出た瞬間からブチ壊しにかかる。豊かな創造の場を、犯してやろうとしてしまう。
何のための復讐か。
誰へ向けての怨念か。
今さら、隠す必要もない。どうせ皆が知っている。
「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる 完結編」
僕はもう何も考えない。
気が狂うことへの恐怖もない。
僕にとって、現場はいつも嵐だ。ヤジとイジメにまみれる、心の大嵐だ。
僕は何も考えなくてすむ。死ぬまで僕みたいな役しか出来ない、使い物にならない、エセ芸人、エセ人間。
僕はそこだけで生き、いつか、いつの間にか、退場している。
「だがリアは小屋の中に入らない。というより入れない。「嵐の中にいれば、/考えずにすむ」からだ。外界の嵐を避けて小屋に入れば、今度は「心の大嵐」がますます吹き荒れ、気が狂ってしまうだろう。ここでは、気が狂うことへの恐怖よりも、気が狂うまで「考え」ること、その苦痛を怖れているようだ」
山崎努氏の「俳優のノート」(メディアファクトリー)である。
AV男優は役など作らない。胸に秘めるものなんて何もない。
そうだろうか。人間が何かをする。何かを仕上げる。
それは、作ることであり、伝えることでもある。
僕は今日、一本のAVに出演する。自分の出るAVを作りに行く。演出家に、相手の女優に、他の出演者に、そして何か月後かに見てくれるユーザーに、何かを伝えにいく。
胸に秘めるもの、自分にとって大切に思うこと、それはある。言葉に今だならなくても、僕はそれを抱えて、これから現場に向かう。
○作品全体を理解すること。そのためには、自分の役を中心に読まないこと。
昨今は各パートごとにサービスメニューを重ねるダンゴつなぎ的なAVが増えた。それもいいだろう。だが、今日の作品は違う。何分物になるかわからないが、どういう構成になるのかも知らないが、全体を統一する、堅固な思想がある。
AV女優とは、何か?
僕はその究明のための、歯車でいい。
どうせ、そこから勝手に逸脱しちまおうとするのだろうが、その専行から産まれるものは決して全体から外れるものではない。
僕はずっとずっと考えて生きてきた。AV女優とは、何か?
僕は最初から、この作品世界に、しぶとく、うっとおしく、生息していたのだ。
○自分自身の問題として、”リアの旅”を生きること。
AV女優とは、何か?
僕自身の旅だ。永遠の問題だ。
○人間への慈しみ。
だが、僕に欠けているものは、これだ。致命的なハンディが、こいつだ。
僕は俳優には、なれない。自分ひとりの旅しか、辿っていけない。
「手に入れた獲物はすぐに腐る。習得した表現術はどんどん捨てていくこと」
僕の獲物なんてとっくに腐っている。異臭を漂わせながら、僕は死神のように現場に現れる。
散々捨ててきたのに。カメラが回りだす度に、自分を打ち払ってきたのに。
腐り切って、灰になりかけて、それでも僕はまだ舞台に上がる。しがみつくつもりもないのに、そこに女優という名のオンナがいるだけで、僕はみっともなく這い上がる。
「僕にとっての活力は死に近づいてゆくこと。若者は目の前のものしか見ない、齢をとると遠近法を身につけるんだ」
すると僕は、死から遠ざかっているのか。
目の前のものしか見えない。目の前のものしか見たくない。
女優、モデル、SM嬢、OL、学生、女の子、娘、女、レディ、女性、オンナ・・・。
映画、「燃えよ!カンフー」、WWE・・・・。
何なんだ、一体?
生からも死からもはぐれて、僕はどこへ転がっていくんだ?
「芝居を準備している時には、見るもの聞くものが直接突き刺さってくる」
たとえば電車が混んでいた。たとえば嫌なヤツがいた。
たとえば僕は、今日も生きていた。
そのすべてが憤ろしい。
僕が生きてること自体が、僕のヤジを産む。イジメを作る。
最低だ。
「しかし、どんなにだめな撮影現場でも、自分の出ている個所だけは少しでも豊かにしてやろうという努力は諦めないこと。どこかに自分の観客はいる」
僕は逆かもしれない。
どんないい現場も、自分が出た瞬間からブチ壊しにかかる。豊かな創造の場を、犯してやろうとしてしまう。
何のための復讐か。
誰へ向けての怨念か。
今さら、隠す必要もない。どうせ皆が知っている。
「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる 完結編」
僕はもう何も考えない。
気が狂うことへの恐怖もない。
僕にとって、現場はいつも嵐だ。ヤジとイジメにまみれる、心の大嵐だ。
僕は何も考えなくてすむ。死ぬまで僕みたいな役しか出来ない、使い物にならない、エセ芸人、エセ人間。
僕はそこだけで生き、いつか、いつの間にか、退場している。
「だがリアは小屋の中に入らない。というより入れない。「嵐の中にいれば、/考えずにすむ」からだ。外界の嵐を避けて小屋に入れば、今度は「心の大嵐」がますます吹き荒れ、気が狂ってしまうだろう。ここでは、気が狂うことへの恐怖よりも、気が狂うまで「考え」ること、その苦痛を怖れているようだ」
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